2015/07/17
超即納の謳い、近年伸長が話題になっている赤堀パッキング(東京都江東区)が、大阪西淀川区に工場を設立し、
6月1日より本格稼働を開始した。
これまで、関西の加工メーカーが関東圏に進出することはあっても、その逆はなかった。
何故なら、ゴム切削加工の発祥は関西とされ、数多くの加工メーカーがひしめき合う激戦区のイメージが
業界に定着していたからだ
。
社長の赤堀仁氏にお話しを伺う機会を得た。
「誰」が最初の言葉だった。
「あっ、ようこそ。時間を勘違いしていました」と案内されたのは社長室とおぼしき部屋。
第一印象は若く、覇気を感じた。42歳。その年齢よりも若く見える。二代目社長だ。学生時代から家業の
手伝いをしていたが、大学卒業後、大手シート メーカーを経て、当時、隆盛を誇っていた
関西の加工メーカーで2年間の修行をした。
当時を知るその加工メーカーによると、「大人しくてまじめな印象。一所懸命に働いていた」と語る。
当の本人は、「当時、その加工メーカーは最新の設備があり、スタッフが昼夜違わず働く姿を見て、凄いと感じた。
この二年間で全部を吸収し、技術を持っ て帰ろうと決意した」とかなり濃密な時間を過ごしたようだ。
その頑張りの甲斐なのか、 「工場のおばさんにも人気があり、1人東京から出てきていることもあり、
お弁当をつくって貰った」と当時の思い出を快活に語った。
そして、「いつか、この会社を抜いてやる」とも同時に思ったという。
その修行期間を経て、帰京。当時の同社は従業員5名程度で、大した設備もなく、
手加工を中心とした小規模なものだった。
「担当企業を与えて貰えなかった」と赤堀社長。
「ならば」と、東京のゴム関連企業を飛び込みで回る日々を始めた。しらみつぶしで回る日々。
受付を通り越し、直接社長に面談するのが赤堀流だ。
そんな中で、とある社長から一冊の名簿を貰う。東部商組の名簿だ。これにより、その営業活動には加速がつく。
受注を貰い、帰社後、自ら加工し、納入していった。 その成功体験が、今日の社風の源になっているようだ。
次第に売上は伸長。同時、設備投資に難色を示す現会長を口説き、また自ら設備を手配することで、
次第に設備も充実していく。
そして、社員も増加していった。現在、従業員も30名を数える。加工メーカーとしては、中堅クラスだ。
「うちには、優秀な人材はいないが、一所懸命頑張れる人材が揃っている。頑張れば、頑張るだけ成果は出る」と語る。
「弊社は、大手加工メーカーの様な技術はないが、大手では対応できない“無理”に対応するのが特長。
超即納が“売り”」と明言する。
三年前に中国の大連に合弁でゴム加工工場を設立。これも業界初だ。
大阪工場設立に話を振るとこう応えた。「東京も大阪も同じ。東京ではある程度の成果が出た。
同じことを大阪でも出来るはず。 幸い、大阪で修業していたので、事情もある程度把握している」。
数年前に大阪に営業所を出し、ある程度の手応えを掴んだのだろう。
「ぼちぼち、やっていきますよ」という言葉に強い自信を感じた。